さすらう隠居人の日記

旅、俳句、映画、ゴルフなど

2月16日、最高の贈り物

昨日、最高の贈り物が届いた。句会の宗匠(大学同期の主将加川さん)からである。何が送られてきたのかと思い開けて見ると、「淳司百選句」と書かれた句集であった。

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2月7日のブログで自選100句を私が公表するや否や、現役で仕事をする中で一句ずつ丁寧に清書し、句集にまとめ贈ってくれたのである。その発想と行動力に驚き感激した。

この句集を一枚一枚めくりながら、涙が出て止まらなくなった。妻ももらい泣きしていた。

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自分が俳句を作ってきた証しとして百句を選んだ。駄句ばかりであるが、句集にしてもらい完結したという意味で我が家の家宝である。

彼は私の余命を知ってから、仕事も忙しい中で毎日励まし、草木花、鳥獣、街の様子などを外に出られない私に写真で教えてくれている。望外の幸せである。

仕事や大学部活で濃密に関わった方々から、温情ある励ましのお手紙やメッセージをいただく度に、自分の人生には悔いがなかったと思い、家族の愛に支えられて、自分は誰よりも最高の人生の終末を過ごしていると実感している。

 

2月13日、孫のこと

昨年の12月26日、大阪の次男夫婦から子供を宿したとの連絡があり、結婚して5年が経っており、夫婦で感激し喜びを分かち合った。出産予定日は6月30日である。

年の暮嫁妊娠の知らせあり

1月4日に救急病棟での検査の結果、膵臓癌が進行して方々に転移していると聞いた時、孫の顔を見られるかどうか心配になった。

1月7日に余命1〜2か月と告げられた時、自分の手で孫を抱くことはできないことがわかったが、不思議なことにそれほどの落胆はなかった。

1月17日に嫁の胎内で躍動する胎児のエコーの動画が送られてきて、とても元気であり産まれてくる時のことも想像できた。

2月2日の戌の日、地元の百舌鳥八幡宮へ安産祈願に行き、御祈祷してもらったとの連絡があった。安定期に入り一安心である。

2月11〜12日、天気が良く雪の心配がないので、次男夫婦がお腹の上から子供を触ってほしいと言って、大阪からやって来た。

f:id:sasurau64:20220213222557j:image2022年2月12日

触った手の先には孫がいると思うと感動して心が震えた。そして孫に向かって話しかけた。

「元気に産まれてきてください。そして、裕子おばあちゃんを癒やしてあげてください。」

 

2月7日、自選100句

60歳になった2017年7月より、大学の部活同期に宗匠をお願いし、毎月LINEで句会を開いてもらっている。この句会がなければ、自分で俳句を作ることはなかったであろうが、4年半で374句を投句したことになる。

拙い句ばかりではあるが、句を作った証しとして、その中から少し推敲もしながら、自分で100句を選んでみた。読むに耐えない駄句が多いが、ご容赦願いたい。

■2017年(7〜12月)7句

介護士の休む間もなく玉の汗

天高し些事にかまわず進むべし

泡立草迷惑千万林立す

まな板の柿にしばらく見入りけり

もみいづる満天星(どうだん)のもと白き野良

木枯らしのビルの中まで追い来たり

木枯らしや我関せずと池の鯉

■2018年 22句

寒晴れや皆既月食刻々と

雪解けの水音強し永平寺

芽吹きつつ川へ枝垂れる柳かな

薄暗き老女の店の金魚かな

一年に一度浮かぶや茶摘み唄

ぐい呑の酒の代わりのさくらん

喪のひとの紫陽花のわき通りけり

休憩の荒くれた手にさくらん

咲き誇る紫陽花主なき家に

街角に日傘の男増えにけり

遠来の客をもてなす祭笛

リウマチの父を気遣う荒神輿

線香花火落ちてしばらく見つめをり

蜻蛉飛ぶ眼下に国の実りかな

月待ちて月見えねども月見酒

送り手の笑顔も運ぶ葡萄かな

小春日や還暦となる妻と居り

がむしゃらに生きて初老の小春かな

散る紅葉手に汗握りノーサイド

弓を射る姿凛々しや冬日

冬うらら記憶まだらに話す母

冬晴れやビルの彼方は山の峰

■2019年 16句

寒星や延命治療の是非を問う

冴え返る明けのシリウス光増す

梅園の閑散なれど花盛り

死ぬことはさなぎが蝶になることよ

山麓は青葉若葉の波打てり

風薫る古刹を行けり令和初日

朝まだき蟻の働き最高潮

蜩や朝より夕の声澄めり

とうきびや一粒ごとの個性あり

閉店の墨の貼り紙秋の風

秋風や荒ぶれた後のノーサイド

出張の鞄に二つ青蜜柑

母に名を忘れられけり秋の風

秋夕焼け旧き友との飲み会へ

難題を抱えしままに除夜の鐘

枯草の土手すべり落つ嬉々として

■2020年 21句

水仙の咲けば亡父に供えけり

落ち椿天に向ひてまた咲けり

水温む室生川辺の磨崖仏

霞突き列車は橋を消え行けり

恵那山の青消したるや春霞

うららかや茹で玉子むく午後三時

麻酔切れ部屋に一人や春の昼

香水や帰りしひとの余韻あり

草刈りを終えて安堵や梅雨に入る

雨の日の静かに過ぎぬ七変化

紫陽花の一つひとつに雨の落つ

窯入れや気合い入れたる鰻めし

はるかなる旅路の果てのうなぎかな

昭和とは価値の違ひしばななむく

弔いの和太鼓とどけ雲の峰

台風の目に居る安堵不安感

台風来為す術のなき闇夜かな

一瞬をともに歩くや赤とんぼ

日昇り装う山の浮かびけり

山装う空と湖面にはさまれて

あと何年生きてられるか日向ぼこ

■2021年 34句

星のごと山茶花落ちし小径あり

もやもやをふわりしずめし春の雪

昼食へビルを出て知る春は来ぬ

ぶらんこで別れを惜しむ転校日

盆栽を食卓に置く花見酒

行けぬ間に消えし居酒屋朧月

夕おぼろ舞妓急ぐや先斗町

薫風やスカートふわり押さえし子

ネクタイを外す初日や風薫る

光浴び千変万化の若楓

青鷺の飛び立つときの青映えり

若宮の紫陽花みつる花手水

任期終え残生一服梅雨夕焼

十薬の揺らぎて闇に瞬けり

一切の憂きことつるり水羊羹

炎天や光と陰の海鼠壁

初めての抹茶点てけり梅雨の雷

夏空へ飛び立つ三頭イルカショー

毒のある海月なれども癒しあり

木槿咲く馬の頭の高さかな

句に悩み句を楽しむや獺祭忌

草刈りをさぼりし庭に男郎花

突然の通夜に向かうや夕月夜

夕映えの空に遊ぶや花芒

秋鯖は味噌煮に限る白飯と

鉄塔を名塔にせし秋夕焼

兎らの動き忙しき運動会

わが影のオブジェとなりぬ秋の浜

団栗の落ちて響ける山の路

鴨睦む硝子戸越しの池のはし

散る落葉寺の階段流れ落つ

芭蕉忌や旅の夢のみかけ巡る

息白しなるようにしかならぬ日々

開院を待つ早き朝息白し

<注>

2019年の「死ぬことはさなぎが蝶になることよ」の句は、オリジナルの発想ではない。生涯をかけて死について研究した精神科医エリザベス・キューブラー・ロスが、ユダヤ人の大量虐殺が行われたポーランドの収容所の壁に無数に書かれていた蝶の絵を見て25年間考え続け、「死はさなぎから蝶が飛び立つようなもので、肉体という殻を脱ぎ捨てて別の存在になることだ。」との回答を得たというようなことが、彼女の著書の「人生は廻る輪のように」に書かれていた。共感したので、忘れないように句に残したものである。

今日は2月7日、1月7日に余命1〜2か月と告げられて、ちょうど1か月が過ぎた。残りの人生を悔いなく精一杯生きたい。

2月1日、最悪期脱出

退院前から体調が悪くなり、1月24日から絶飲絶食状態になったことは前回書いたが、その日に介護認定調査の方が来られた。色々と聞き取りされたあと、要支援か要介護かなどの結果は1か月位先になると言われて帰られた。

ところが、28日には介護保険の要介護3(利用者負担1割)の認定となった。調査直前に絶飲が決まり、調査中に急遽点滴を開始したことが影響したかもしれない。

その後も体調は悪化し、お腹の張りと痛みにより横になると辛く、日中は気が紛れるが、夜中は一旦寝ても体制が悪くなると痛みが激しく、起きてベッドに座るか腰掛けるしかなく、眠られぬ時間が長く続き苦しんでいた。

訪問医師と相談したところ、モルヒネのメリット、デメリットをよく確認した上で、1月31日の夜より使うことにした。

モルヒネを使うことにより、痛みが劇的に減少し、副作用もなく、その日からよく眠ることができるようになった。訪問医師が緩和ケア、ペインクリニックの専門医で助かったと感謝している。

お腹の張り(腹水)も直接抜いたり利尿剤を使うのではなく、モルヒネと同様にメリット、デメリットをよく確認した上で、先ずはステロイドを使うことにした。

昨日、立春を迎えたが好調を持続しており、体力の衰えは感じるが、現在は前向きなことに取り組みたいと考え、この4年半で作った拙い句の中から、100句を選んで公表しようと思っている。

<追伸>

ブログの読者からのコメント、旧知の方からの励ましのお言葉やお手紙をとてもありがたかく読み、感謝の念に耐えません。

しかしながら、その都度対応できず申し訳なく思っています。いつもありがとうございます。

1月20日、退院

かなり報告が遅れてしまったが、1月20日に退院した。午前10時に妻が迎えに来てくれ、手続きを済ませて、16日振りに家へ戻ることができた。

久々の我が家はうれしい。毎日家族の顔を見て過ごすことができる。家に入ると居間が整理され、介護ベッドの受入体制なども整っておりおどろいた。大変な重労働であったと思う。

退院した日には訪問医師が来てくれ、今後の対応について話を聞き、ペインクリニックが専門であることも知り安心した。

週末には、また次男も来てくれた。

f:id:sasurau64:20220127200014j:image2022.1.23我が家にて

退院の前からお腹が張って痛み、歩くのも苦痛になっていた。退院してからも気分が悪く、21日と23日には嘔吐した。4日の入院後は絶食で、7日から水分のみ取れるようになり、栄養剤ドリンクでカロリー補給をしていたが、液体も通りにくくなり、24日からは僅かな真水を除き絶飲絶食となり、点滴に頼ることとなってしまった。

家に帰ったらやりたいことがたくさんあったが、ほとんど何も手付かずである。自宅療養をしたことで、想定以上の負担を妻にかけており、大変申し訳なく思っている。

1月11日、医師との話し合い

このブログの読者には私をよく知る人もあり、事実を報告することで心配させてしまうし、他の方々も陰鬱な気分にしてしまうのではないかと報告をためらってきた。7日のブログで、今後は気分次第で書くと言ったが、事実を伏せたままでは書くことができず、今回は先ず事実を報告することにしたい。

1月4日、膵臓癌がかなり進行した状態であり、入院することが決定した。

1月7日、5日から6日の検査結果を受け、医師から膵臓癌の末期であり手術はできず、治療方法としては抗がん剤しか残されていないとの説明があり、余命を聞くと1〜2か月とのことであった。家族とも相談するが、抗がん剤治療は受けないつもりであり、最期は自宅で迎えたいと伝えた。11日に家族を含めて詳しい説明をし、今後の方針を決めることになった。家族4人が顔を合わせられる機会ができ、うれしかった。

1月11日、膵臓癌のステージ4で余命1〜2月、胃、小腸、大腸、腹膜などに転移していることの説明があり、私の希望通り抗がん剤治療は行わず、できるだけ早く自宅療養にすることを確認した。妻、長男、次男ともに私をよく理解し、しっかりしてくれていることに安心した。

f:id:sasurau64:20220116100608j:image家族写真2022.1.11

今回は事実の報告にとどめ、今後は気分次第で心境等について報告したい。

<追伸>

1月7日のブログに多くのコメントをいただきありがとうございます。とても励みになっています。しかしなが、反応することができず申し訳ありません。今後も書きっぱなしになると思いますが、よろしくお願いいたします。

 

1月4日、入院

1月4日の朝、近所の腹痛を診てもらっている医院ヘ行った。年末年始の休診前に書いてもらった救急用の紹介状も必要なくなり、まだ腹痛は続いていたが、寒い中を歩きながら、佳い年を迎えられたのではないかと思っていた。

しかしながら、年末年始の状況を話し、点滴を受け、レントゲンを撮った結果、自分が期待していた真逆の方向へ向かってしまった。

最初は一番近い国立病院でのCT検査を勧められたが、その後はまた話が転換し、3つの病院が示され、入院の可能性があるがどこにするかとの問いに、馴染みの病院を指定した。

午後、妻に連れ添ってもらい、その病院の救急病棟へ行き検査を受け、夕方、検査結果の第一報を受けた。大腸癌までは想定していたが、全くの想定外の結果となり茫然自失となった。

しかしながら、自分の検査結果を全く他人事のように理解し、判断することができた。

その後、近くのベッドの子が泣き叫んでいた。小さいのに可哀相だと思いつつ、私の気持ちまで代弁してくれているのかと勝手に思い、やるせなかった。

吾(あ)に代わり泣き叫ぶ子や冬の夕

コロナの状況下、家族との面会もできないことが辛い。

<追伸>

こんな状況ですので、ブログについては、元旦に「原則毎日」と書きながら、「気分次第」に変更させていただきます。皆さんのブログを読む余裕がなく、コメントにも反応できそうにありません。大変申し訳ありません。

最後に、今朝、病室から撮った日の出の写真を載せておきます。

f:id:sasurau64:20220107170647j:image病室から見た日の出