さすらう隠居人の日記

旅、俳句、映画、ゴルフなど

散歩の再開

昨日散歩を再開する予定であったが、寒くはっきりしない天気であったので、今日に延期した。

今日は比較的暖かく、雲一つない天気(苦も一つない転機)とまではいかないが、良い気分転換となった。

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今日の景色

貯水池には鷺と鴨がいたが、亀は冬眠したのか最近は姿を見かけない。

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(左)飛び立つ鷺 (右)鷺と鴨

今日はいつもより早く、午後2時に散歩に出かけたので、出会う人の顔ぶれが違った。散歩道で楽譜を立てギターを弾いている人に初めて出会い、自分は楽器ができないので羨望のまなざしを向けながら通り過ぎた。彼にとっては至福の時であろう。

途中の公園には人はいないが、小鳥がたくさん来ていた。

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公園

上は公園を西側から撮った写真である。
下は公園を東側にある東屋に腰かけて撮った写真である。この後ろ側に、実の成った小さめの木があり、現在のこの公園で唯一の色鮮やかな被写体である、

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公園(東屋より)と実の成った木

この木には、メジロが代わるがわる訪れ実を啄んでいく。ずっと見ていても飽きない。動きが早く、奥の方にしか来ないので、スマホでは写真が撮れず残念である。

8日振りの散歩で3kmほど歩いたが、体調は良い。

自社株買い

12月14日の衆議院予算委員会で、立憲民主党の議員が企業の自社株買いの禁止まで踏み込むべきだという内容の発言をしていた。ニュースで見ただけなので詳しくはわからないが、その主旨の発言だけを聞くと何を馬鹿な質問をしているのかと思わざるを得なかった。

岸田総理がその質問を一蹴すると思いきや、理解を示すような答弁をしたことに驚いてしまった。

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12月14日予算委員会(sankei.comより)

内部留保は自社株買いではなく、従業員の賃上げに使うべきとの考えもあるが、それは個別に判断することであり、短絡的に自社株買いの禁止や規制強化をすべきものではない。

企業はその所有者である株主の利益を考えるのは当然である。株主の利益を考えない企業の持続的な発展はないのである。
今、個人の証券投資の比率が少ない日本は、国策として国民に積立・分散投資による安定的な資産投資を促しており、NISAなどの制度もその一環であり、(少数)株主の裾野は広がってきている。
従業員の利益を考えるのであれば、持ち株会に加入している従業員の株主も多い。
自社株買いにより、株主が潤うということがあれば、特定の大株主だけでなく全体に行きわたるのであるが、そう簡単にできるものでもない。

自社株買いをすれば、企業の自己資本利益率は上がるが自己資本比率は下がり、企業も最も重要な経営判断が求められるところである。そこを早計に禁止とか規制強化というのは危険である。

証券市場は生き馬の目を抜くところであり、不用意な発言は相場の変動を招き、システム売買が拍車をかけることもある。アメリカではトランプ政権発足時に、大統領の発言で株価が異常なほど乱高下した。

岸田政権は同じ轍を踏まないようにしてほしい。

 

荻須高徳展

昨日のブログで皆さんに心配をかけてしまったが、一昨日吐いてから痛みは和らぎ、元気を取り戻しつつある。

今日は稲沢市荻須記念美術館へ行って来た。現在、荻須高徳の生誕120年を記念して荻須高徳展が開催されているが、明日が最終日であり、間に合って良かった。

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荻須高徳展図録

私は街の風景画を観ることが好きで、今回の展覧会は副題が「私のパリ、パリの私」とされているように、パリの街角、建物などの絵が多い。

パリを描く画家としてユトリロも大好きであるが、この二人が同じ場所「コタン小路」を描いているので比較してみたい。

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コタン小路
左:荻須高徳(1936年)荻須高徳展図録より 
右:ユトリロ(1911年)ユトリロと古きよきパリより

荻須高徳がコタン小路を描いたのは、ユトリロが描いた約25年後である。
荻須高徳は、どちらかというと濃く深みがある絵が多く、ユトリロは、白っぽい絵が多いという印象がある。もちろん、ユトリロも深みのあるものもあり、絵に造詣の深い人からは叱られそうだが、素人の個人的な印象である。

最近のコタン小路の写真は以下の通りである。上のユトリロの絵と下の写真は、井上輝夫、横江文憲、熊瀬川紀共著「ユトリロと古きよきパリ」新潮社とんぼの本から引用した。

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左:コタン小路の最近の写真
右:ユトリロと古きよきパリ

今日行った美術館は、愛知県の稲沢市に生まれた荻須高徳を記念して1983年に開館されたが、現在はアトリエも復刻されている。

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荻須高徳の復刻アトリエ

展示されていた絵画は81点であったが、どれも興味深く観賞することができた。また、今日購入した図録には、前から読みたかった1980年に発刊された画文集「私のパリ、パリの私 荻須高徳の回想」が掲載されており、思わぬ貴重なお土産をもらった気分である。

往復は車で、歩いた距離は1km程度ではあったが、身体の慣らしになった。この展覧会がなかったら、今日も家に燻っていたかもしれない。明日は散歩再開である。

吐血

11月20日から腹痛が始まり、休み明けの22日に医者へ行き薬を飲んでいたが、良くなったり悪くなったりで、トレンドとしては悪くなっていたようである。

昨日も痛みがひどく、ブログも休んで痛みに耐えながらゴロゴロしていた。

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腹痛(japan-treasure-media-search.comより)

夕方に吐き気を催したので、トイレに行き2回ほど戻し、トイレットペーパーで鼻をかんだり口を拭いたりした後、もう一度戻した。その時はトイレットペーパーに赤い血がはっきりと確認できた。(汚い話で申し訳ない。)

夏目漱石修善寺の大患と違い、吐血の量も盥(たらい)と湯呑ほどの違いはあるものの、少し心配になった。(そう言えば、12月9日が漱石忌であり、ブログに書くつもりであったが忘れていた。)昨日は休診日であったが、腹痛で診てもらっている近所の医者の個人携帯に連絡し、症状を話し、今日の朝、胃カメラで検査してもらうことになった。

いつも人間ドックでは胃カメラで苦しむが、この医者は巧く苦しむことはなく良かった。胃カメラで撮っている映像を見ながらいろいろと説明を受けたが、吐血の原因は逆流性食道炎であった。医者からは「こんなにひどくなるまで我慢する人はいませんよ。」と言われたが、我慢できなかったから、11月22日と29日に診察を受けたのだと言いたかったものの、口から胃カメラが入っていて言えなかった。

逆流性食道炎は薬で治せそうであり良かったが、胃癌の疑いが濃厚であるというポリープが見つかり、生体検査に出され1週間後に結果がわかる。毎年人間ドックを受けているので、癌であっても初期のものだと思うが、癌でないことを望んでいる。

虎と年賀状

今朝の中日新聞に、東山動物園へスマトラトラの2歳の雄「アオ」が仙台の八木山動物園から、12月14日にやって来たという記事が載っていた。

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アオ(中日新聞より)

なかなか凛々しい顔立ちである。

9月20日のブログで「東山動植物園」を書き、すぐにでも行くつもりであったが、まだ行くことができていない。1か月前に腹痛が始まり、三寒四温ならぬ三痛四快であるが、アオも来たので早く行きたい。

昼には、今日から年賀状の受付が開始され、日本郵政のJPタワーでセレモニーが行われたとのニュースが流れていた。

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年賀状受付セレモニー(時事通信より)

私はいつもクリスマスの頃に投函しているので早い感じがするものの、一昨日知ったことだが、13日が正月事始であれば、暦通りに動く律儀な人にとっては早過ぎることではない。

年賀状は一度やり取りを始めるとずっと続いてしまうものだが、会社を退職したこともあり、けじめをつけようと思っている。会社の後輩たちは先方からは止められず、負担に思っている人も多いと思うので良い機会である。文面をどうするかをよく考えなければならない。

来年は寅年である。年賀状の文面は後からゆっくり考えることにして、画材は新しく東山動物園に来たスマトラトラの「アオ」にすれば良い。早く東山動物園へ写真を撮りに行こう。

 

煤払、忠臣蔵

昨日、地元のニュースで犬山城岐阜城などの煤払(すすはらい)の様子が映し出されていた。

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犬山城(2019年2月22日)

煤払が特定の日だとは思っていなかったので調べてみると、正月の準備に取り掛かる正月事始が12月13日からで、煤払はその最初の行事とあり、井原西鶴の「世間胸算用」にも「毎年煤払は極月十三日に定めて」と書かれており、公家、武家、町人ともに13日が慣例であったそうである。

さて今日は14日、忠臣蔵赤穂浪士の討ち入りの日である。(実際は旧暦なので、新暦では1月16日であるが・・・)忠臣蔵は本伝はもちろん、銘々伝、外伝も面白いものが多い。

ここからは、忠臣蔵外伝「松浦の太鼓」を紹介したい。精度は欠くが、要約してみたものである。

討ち入りの前日、両国橋で芭蕉の高弟である宝井其角赤穂浪士で煤払の笹竹売りに身をやつした大高源吾にに出会う。

二人が挨拶を交わしたあと、其角が俳句を教えている松浦候からの戴き物の羽織を源吾に着せかけた。そして、
其角が「年の瀬や水の流れの人の身は」と詠み掛けると
源吾は「明日待たるるその宝船」と詠み返した。

翌日、討ち入りの日、吉良邸の隣にある松浦邸で句会があり、其角は両国橋での出来事を松浦候に話し、松浦候は主君の仇も討たずに笹竹売りをしている源吾に羽織を与えたことに激怒した。その時、隣の吉良邸から山鹿流の陣太鼓が鳴り響いてきた。そこで、松浦候は両国橋での源吾の詠み返しの意味を理解したのである。

源吾が松浦候の面前に現われ、本懐を遂げたことを告げると、松浦候は落涙し、「浅野殿は誠に良い家来をもたれた。」と声高に言うのであった。
其角が源吾に辞世の句を問いかけると、短冊を松浦候に差し出し、松浦候が読み上げた。

山をぬく刀も折れて松の雪

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松浦の太鼓(こんぴら歌舞伎絵看板より)

其角には次のような佳句がある。

我雪とおもえばかろし笠のうへ
日の恩やたちまちくだく厚氷
月雪の中や命のすてどころ

これらの句も討ち入りと関連していれば面白いが、どうもそうではないらしい。

ホンダF1、有終の美

今年でホンダはF1から撤退するが、最終戦アブダビGPでマックス・フェルスタッペンが勝利しドライバーズチャンピオンになった。それも最終周回での大逆転である。ホンダにとってもアイルトン・セナの時以来、30年振りのF1タイトル獲得となった。

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ホンダのHPより

今年のフェルスタッペンとハミルトンの戦いは、一時険悪となることもあったが、最終戦前まで同ポイントとかつてない接戦であり、とても見応えがあった。二人の健闘を讃えたい。

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フェルスタッペン(左)とハミルトン(右)

ホンダは試合当日の新聞に、ライバルチームに対して全面広告を出した。驚くべきことである。

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12/12付、日経朝刊の全面広告

これに対し、トヨタもエールを送っている。今までにこんなことがあったであろうか。企業間のスポーツマンシップを見ているようである。感慨深い。

私の父親がホンダの二輪車の愛知県での卸売り会社を経営していた(相当前の話)ので、物心ついた頃からいつもホンダは身近な存在であった。

ホンダが最初にF1に参戦した時(その時、私は小1)には、ホンダの四輪車は軽トラックとS600しかなかった。その前、二輪車に参入した時もすぐにオートバイレース最高峰のマン島TTレースに参戦していた。本田宗一郎は常に世界のトップを見据えていたのである。

世間からは無謀とも思われていたF1参戦であったが、翌年の1965年にはリッチー・ギンサーが乗りメキシコGPで優勝した。1967年にもジョン・サーティースが乗りイタリアGPで優勝したが、1968年をもって活動を休止した。

その後、1983年に復帰し快進撃を果たし、、アイルトン・セナというスーパースターも加わり、F1人気は絶頂期を迎えた。

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在りし日のアイルトン・セナ(左)と本田宗一郎(右)

その後も休止、復帰を繰り返したが、ガソリン車としての復帰はもうないであろう。

ホンダはマスキー法にもいち早く対応し、自動車メーカーとして飛躍した。F1もホンダに勝たせないためのレギュレーションの変更が数多くあったと思うが、その都度克服し逆に技術の進歩につなげた。

今回、自動車業界は今までとは全く違う変革を求められているが、本田宗一郎から続くホンダイズムが生き続け、カーボンニュートラルを克服し、新たな自動車メーカーとして生まれ変わると信じている。

その時は、電気自動車のレースで世界を席巻してもらいたい。