さすらう隠居人の日記

旅、俳句、映画、ゴルフなど

大島康徳さんを偲ぶ

大島さんは生前、闘病生活という言い方は嫌いであった。約5年前に大腸がんになり、その後の生活を著書で紹介したり、ブログに書いたりしてきた。私より7歳年上であり、今後の生き方の参考にしたいと思ってきた。

私は小学校の高学年の頃から大学に入った頃までは、ドラキチという熱狂的な中日ドラゴンズのファンであった。大島選手は昭和49年(1974年)、私が高校2年生の時の中日の20年ぶりの優勝にも貢献した。優勝の当日、少し長めの髪だった私はイヤホンを髪に隠し、授業中にラジオの実況中継を聴きながら途中経過のメモを回し、教室の後ろにある黒板に書いたスコアボードを更新してもらい、クラスの皆で楽しんだことを思い出す。当時、大島選手はスタメンに固定されておらず代打の切り札として使われることが多く、板東英二が歌うドラゴンズの応援歌では「一発長打の大島クン」という歌詞であり、代打ホームランの多かった印象が強い。

中日が優勝したその年に、巨人が十連覇を逃し長嶋選手が引退した。最終戦日本シリーズを控え中日の主力選手が出場せず世間の批判を浴びたが、中日を代表して大島選手が長嶋選手に花束を贈呈したことを「巨人軍は永遠に不滅です。」という長嶋選手の挨拶とともに鮮明に覚えている。

その後、大島選手は本塁打王を獲り、監督になり、頑張っていることは知りつつも、プロ野球自体に興味がなくなり大島さんの動向もあまり気にしなくなっていたが、がんになってからまたその言動が気になり始めた。先月の初め頃(5月かもしれない)の休日に、エンゼルス戦の解説をしていて、仕事ができるほどの体調で大島さんらしい語り口がいいなと思っていたが、6月30日に亡くなってしまった。個性豊かで、私にとって野球で楽しませてもらった上に、人生を考える助けとなったかけがえのない人であった。