後藤夜半と葛飾北斎
後藤夜半の句に
滝の上に水現れて落ちにけり
がある。
水原秋櫻子「近代の秀句」朝日選書の解釈がわかりやすく、その内容を引用すると以下の通りである。
見事な滝が眼前にかかっている。作者は滝壺にちかいあたりから、その滝を見上げている。はじめの間はすさまじい勢いで落ちてくる水に圧倒されて、魂がおののくばかりであったが、次第に心が落着くと共に、滝のさまを観察しはじめたのである。
水煙の立ちのぼる上の落口を仰ぐと、真白に泡立つ水が押し出されるごとく現われ、しばし其処に静止した後に落下するような感じがする。見ているうちにおなじことが幾度も繰り返され、落口に現われた水が、一瞬静止するような感じがますますはっきりする。そう思うと、滝の響きはすっかり耳からはなれ、不思議な水の動きだけが、目をはなれないのである。
この句は水原秋櫻子の解釈とともに、とても印象に残っている。
葛飾北斎の画に
諸国瀧廻り 木曾路の奥阿弥陀の瀧(東京国立博物館)
があるのを知った。
この画は、前述の後藤夜半の句と水原秋櫻子の解釈にイメージがぴったり合う。もしかして、後藤夜半はこの滝を見て句を作ったのかと思い調べてみたが、彼は箕面の滝を見て作ったようである。
後藤夜半の句とともにこの画も自分にとってとても印象に残るものとなった。