与謝野晶子記念館
大阪府堺市に住んでいる次男夫婦には、コロナ禍の帰省は見合わせ落ち着いてからにしようと話した。閑になったのでこちらから行っても良い。堺は千利久や与謝野晶子の出身地であり、「さかい利晶の杜」の与謝野晶子記念館へも行ってみたい。
与謝野晶子の歌は、随分まえにテレビコマーシャルで流されていた
柔肌の熱き血潮に触れもみで
寂しからずや道を説く君
で初めて興味を持った。そもそも短歌にあまり興味がなく、彼女がみだれ髪の作者であることだけは知っていたが、みだれ髪にこの歌があったのだ。
その後「君死にたまふこと勿れ」を知った。
あゝをとうとよ君を泣く
君死にたまふことなかれ
末に生まれし君なれば
親のなさけはまさりしも
親は刃をにぎらせて
人を殺せと教へしや
(以下略)
反戦歌として批判を浴びたようであるが、日露戦争へ出征した弟に対して姉としての思いが漲っている。肉親を思う気持ちは当然であり、世論の批判は的外れである。
与謝野鉄幹の辞世の歌に
渓の水汝も若しよき事の
外にあるごと山出でて行く
があり、晶子は
冬の夜の星君なりき一つをば
云ふにはあらずことごとく皆
を残している。亡き夫への追慕の真摯な思いが伝わってくる。