さすらう隠居人の日記

旅、俳句、映画、ゴルフなど

震災忌

98年前の大正13年(1923年)9月1日の午前11時58分に関東大震災が関東を襲い、死者・行方不明者は10万人を超えた。

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浅草・凌雲閣付近(jiji.comより)

昼食の準備で火を使っており、火事が被害を拡大させた。今日は防災の日である。日本中で大地震の可能性があり、地元でも濃尾地震(1891年)、東南海地震(1944年)などM8以上の地震が過去に発生した。改めて災害対策の確認をして置かなければならない。

7月24日の「河童忌」のブログで43年以上前に芥川龍之介全集を購入したが、ほとんど読んでいないと書いたが、今日は関東大震災について何か書かれていないかと調べてみた。「大震雑記」、「大震日録」、「大震に際せる感想」などがあったが、その中から「大震雑記」の一部を紹介したい。

「大震雑記」より一部抜粋
大正12年8月に鎌倉へ行った時のことが書いてある。)
 僕等の座敷の軒先はずっと藤棚になっている。その又藤棚の葉の間にはちらほら紫の花が見えた。八月の藤の花は年代記ものである。そればかりではない。後架の窓から裏庭を見ると、八重の山吹も花をつけている。(略)
その上又珍しいことには小町園の庭の池に菖蒲も蓮と咲き競っている。(略)
藤、山吹、菖蒲と数えて来ると、どうもこれは唯事ではない。「自然」に発狂の気味のあるのは疑い難い事実である。僕は爾来人の顔さえ見れば、「天変地異が起こりそうだ」と言った。しかし誰も真に受けない。久米正雄の如きはにやにやしながら、「菊池寛が弱気になるってね」などと大いに僕を嘲笑したものである。
 僕等の東京に帰ったのは八月二十五日である。大地震はそれから八日目に起った。

地震後の日の菊池寛とのやりとりも書いている。)
 その内に僕は大火の原因は〇〇〇〇〇〇〇〇そうだと言った。すると菊池は眉を挙げながら、「嘘だよ、君」と一喝した。僕は勿論そう言われて見れば、「じゃ嘘だろう」と言う外はなかった。しかし次手にもう一度、何でも〇〇〇〇はボルシェヴィツキの手先だそうだと言った。菊池は今度も眉を挙げると、「嘘さ、君、そんなことは」と𠮟りつけた。僕はまた「へええ、それも嘘か」と忽ち自説(?)を撤回した。

芥川龍之介が予言が当たったこと、流言飛語を真に受けて菊池寛からたしなめられたことのエピソードが興味深かったので、少し長くなってしまったが引用した。
非常事には、コロナ禍でもそうであるが、デマや流言飛語が出回るので災害対策と同様に注意したい。