さすらう隠居人の日記

旅、俳句、映画、ゴルフなど

柳家小三治と東京やなぎ句会

柳家小三治さんが10月7日に亡くなられた。私の広く浅い趣味の一つに落語観賞があるが、小三治さんは人間国宝であるにもかかわらず、生前に彼の落語を聴いた記憶がなく、不覚であった。

私にとっては、東京やなぎ句会のメンバーとして印象に残っている。

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柳家小三治毎日新聞より)

8月20日のブログ「句会」にも書いたが、私が俳句を好きな理由に、東京やなぎ句会の存在がある。小三治さんは1969年1月5日の旗揚げ以来のメンバー(当時は、柳家さん治、俳号は土茶)であり、他には、宗匠入船亭扇橋(当時柳家さん八)、永六輔江國滋大西信行小沢昭一桂米朝永井啓夫、三田純市、矢野誠一の10人がいて、2年後に加藤武神吉拓郎が加わり12人となった。

句会の様子を本で読んでいると、小三治さんはどちらかと言うと、やんちゃ坊とか駄々っ子という雰囲気が漂っていた。最初の句会では、俳句としての出来はともかく、印象に残る次の名句(迷句)を残している。

煮凝りの身だけよけてるアメリカ人

この句はその後の東京やなぎ句会でも、よく話題に上がっている。
東京やなぎ句会の本は、2011年7月の「楽し句も、苦し句もあり、五・七・五 五百回、四十二年」(岩波書店)から出ていないので、その後の様子が分からなかった。

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東京やなぎ句会編
「楽し句も、苦し句もあり、五・七・五 五百回、四十二年」
岩波書店

毎月17日が句会で、皆その日は他の予定を入れず続けているのは凄いことである。しかし、この時にはすでに4人が亡くなっていた。

2019年8月に矢野誠一さんの「昭和も遠くなりにけり」が出版され、冒頭に東京やなぎ句会のことが書かれており、懐かしく興味深く読むことができた。

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矢野誠一著「昭和も遠くなりにけり」(白水社

小三治さんが亡くなり、当初のメンバー12人のうち、ご存命なのは矢野誠一さんだけになってしまった。

小三治さんは9月25日放映の「新美の巨人たち」で元気な姿を見せていたが、急に亡くなってしまい残念でならない。