さすらう隠居人の日記

旅、俳句、映画、ゴルフなど

努力は運を支配する(宿澤広朗)

昨日のラグビー早慶戦を観ていても、楕円のボールの一転がりで大きく試合展開を動かすことがある。自分がゴルフをしていても、会心ティーショットがティボットにハマってしまったり、OBと思った打球が木に当たってフェアウェイに戻ってきたりする。
運がいろいろないたずらをするが、運が良いとか悪いとかは、長い目で見れば等分であるかもしれない。

人生も同じである。ただし、運が良くて上手くいった時に思い上がるとそれ以上の失敗が待っている。また、運が悪くて思うようにならなく腐っていると負のスパイラルに陥ってしまう。

私の父は、「運は字のごとく運ぶものだ。努力しなければよい運は巡ってこない。」とよく話していた。私も六十数年生きてきて、至言だと思っている。

今日は「運を支配した男」宿澤広朗について書くことにした。
彼は50年前に早稲田のスタンドオフで活躍し、日本代表になっている。その頃、私の兄が早稲田に入っており、六大学野球はよく観ていたが、ラグビーはルールがよくわからないので野球ほどは興味がなかった。しかし、だんだんと彼の迫力に魅せられていったのである。

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宿澤広朗(1971年)

彼はラグビー名門校の出身ではなく(熊谷高校)、浪人して大学に入り160cmの小兵ながら、3年で日本代表となった。

住友銀行に入り為替ディーラーとして活躍し、その後日本代表監督となり、1989年にスコットランドに28-24で歴史的な勝利をおさめ、1991年第2回ラグビーワールドカップで初勝利した。日本の進展のためには外国人監督の必要との意見を推し進める先見の明があったが、なかなか取り入れられなかった。

住友銀行では取締役専務執行役員になり、頭取候補とも言われたが、赤城山登山中の2006年6月17日に心筋梗塞で亡くなってしまった。55歳でまだやり残したことも多かったであろう。

告別式の弔辞で、選手時代の監督でその後も師であり兄貴分であった日比野弘さんは、「二年連続日本一に輝いたあと、君が早稲田学報に書いた『努力は運を支配する』という言葉を、私の生涯の座右の銘にしてきたことは、君も承知のとおりです。私は後輩の君からいろいろなことを学びました。」と述べている。その日比野さんも今月の14日、86歳で亡くなられた。

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日比野弘(2019年、撮影:松本かおり)

あらためてお二人のご冥福をお祈りしたい。

宿澤洋子さん(奥様)は、宿澤広朗さんが亡くなられた後、「『いつも全力疾走していなければ、失速しそうな気がする』ともらしたこともございました。どうか宿澤広朗を忘れないでください。」と仰っていた。

50年前のプレーが目に焼き付いている。短い人生を疾走して、数々のことを成し遂げていった。「努力は運を支配する」という言葉は自分も意識しているが、皆にも伝えていきたい。宿澤広朗さんを忘れることなどあり得ない。

(加藤仁さんの「宿澤広朗 運を支配した男」の一部を引用しています。)

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加藤仁「宿澤広朗 運を支配した男」講談社