影とシェイクスピア PartⅡ
先日旅行に行き、直島の突堤から砂浜に映る自分の影を写真に撮った。
直島には至る所にオブジェがあり、その時はオブジェの一つのような気分になっていたが、所詮普通の影に過ぎない。
昨日のリア王に引き続き、今日は影にまつわるマクベスの台詞(マクベス夫人が亡くなった後のもの)を紹介したい。もちろん小田島雄志さんの訳である。
明日、また明日、また明日と、時はこきざみな足どりで一日一日を歩み、ついには歴史の最期の一瞬にたどりつく。
昨日という日はすべて愚かな人間が塵と化す死への道を照らしてきた。消えろ、消えろ、つかの間の燈火!
人生は歩き回る影法師、あわれな役者だ、舞台の上で大げさにみえをきっても出場が終われば消えてしまう。白痴のしゃべる物語だ、わめき立てる響きと怒りはすさまじいが、意味はなに一つありはしない。
小田島さんは、「人生の意味は喜びや悲しみの感情の総和がどれだけあるかで決まると思っている。」と言っている。同感である。
マクベスは、大学卒業間近の昭和55年2月に、蜷川幸雄演出、平幹二朗・栗原小巻主演、小田島雄志訳、辻村ジュサブロー アート・ディレクターで芝居を観た。仏壇の舞台で、日本の戦国時代の設定の感覚で、登場人物、台詞は原作の翻訳通りで、題名は「NINAGAWA・マクベス」、かなり奇抜な演出であったが、シェイクスピアの世界に引き込まれていった記憶が鮮明に残っている。
儚い人生であるが、精一杯生きて、喜びも悲しみも味わい尽くすべきである。そのためには、よく学び、よく遊び、生きることに一生懸命にならなければならない。今までそういう生き方をしてきたつもりであるし、隠居人となった現在もそれは肝に銘じている。