2月7日、自選100句
60歳になった2017年7月より、大学の部活同期に宗匠をお願いし、毎月LINEで句会を開いてもらっている。この句会がなければ、自分で俳句を作ることはなかったであろうが、4年半で374句を投句したことになる。
拙い句ばかりではあるが、句を作った証しとして、その中から少し推敲もしながら、自分で100句を選んでみた。読むに耐えない駄句が多いが、ご容赦願いたい。
■2017年(7〜12月)7句
介護士の休む間もなく玉の汗
天高し些事にかまわず進むべし
泡立草迷惑千万林立す
まな板の柿にしばらく見入りけり
もみいづる満天星(どうだん)のもと白き野良
木枯らしのビルの中まで追い来たり
木枯らしや我関せずと池の鯉
■2018年 22句
寒晴れや皆既月食刻々と
雪解けの水音強し永平寺
芽吹きつつ川へ枝垂れる柳かな
薄暗き老女の店の金魚かな
一年に一度浮かぶや茶摘み唄
ぐい呑の酒の代わりのさくらんぼ
喪のひとの紫陽花のわき通りけり
休憩の荒くれた手にさくらんぼ
咲き誇る紫陽花主なき家に
街角に日傘の男増えにけり
遠来の客をもてなす祭笛
リウマチの父を気遣う荒神輿
線香花火落ちてしばらく見つめをり
蜻蛉飛ぶ眼下に国の実りかな
月待ちて月見えねども月見酒
送り手の笑顔も運ぶ葡萄かな
小春日や還暦となる妻と居り
がむしゃらに生きて初老の小春かな
散る紅葉手に汗握りノーサイド
弓を射る姿凛々しや冬日和
冬うらら記憶まだらに話す母
冬晴れやビルの彼方は山の峰
■2019年 16句
寒星や延命治療の是非を問う
冴え返る明けのシリウス光増す
梅園の閑散なれど花盛り
死ぬことはさなぎが蝶になることよ
山麓は青葉若葉の波打てり
風薫る古刹を行けり令和初日
朝まだき蟻の働き最高潮
蜩や朝より夕の声澄めり
とうきびや一粒ごとの個性あり
閉店の墨の貼り紙秋の風
秋風や荒ぶれた後のノーサイド
出張の鞄に二つ青蜜柑
母に名を忘れられけり秋の風
秋夕焼け旧き友との飲み会へ
難題を抱えしままに除夜の鐘
枯草の土手すべり落つ嬉々として
■2020年 21句
水仙の咲けば亡父に供えけり
落ち椿天に向ひてまた咲けり
水温む室生川辺の磨崖仏
霞突き列車は橋を消え行けり
恵那山の青消したるや春霞
うららかや茹で玉子むく午後三時
麻酔切れ部屋に一人や春の昼
香水や帰りしひとの余韻あり
草刈りを終えて安堵や梅雨に入る
雨の日の静かに過ぎぬ七変化
紫陽花の一つひとつに雨の落つ
窯入れや気合い入れたる鰻めし
はるかなる旅路の果てのうなぎかな
昭和とは価値の違ひしばななむく
弔いの和太鼓とどけ雲の峰
台風の目に居る安堵不安感
台風来為す術のなき闇夜かな
一瞬をともに歩くや赤とんぼ
日昇り装う山の浮かびけり
山装う空と湖面にはさまれて
あと何年生きてられるか日向ぼこ
■2021年 34句
星のごと山茶花落ちし小径あり
もやもやをふわりしずめし春の雪
昼食へビルを出て知る春は来ぬ
ぶらんこで別れを惜しむ転校日
盆栽を食卓に置く花見酒
行けぬ間に消えし居酒屋朧月
夕おぼろ舞妓急ぐや先斗町
薫風やスカートふわり押さえし子
ネクタイを外す初日や風薫る
光浴び千変万化の若楓
青鷺の飛び立つときの青映えり
若宮の紫陽花みつる花手水
任期終え残生一服梅雨夕焼
十薬の揺らぎて闇に瞬けり
一切の憂きことつるり水羊羹
炎天や光と陰の海鼠壁
初めての抹茶点てけり梅雨の雷
夏空へ飛び立つ三頭イルカショー
毒のある海月なれども癒しあり
木槿咲く馬の頭の高さかな
句に悩み句を楽しむや獺祭忌
草刈りをさぼりし庭に男郎花
突然の通夜に向かうや夕月夜
夕映えの空に遊ぶや花芒
秋鯖は味噌煮に限る白飯と
鉄塔を名塔にせし秋夕焼
兎らの動き忙しき運動会
わが影のオブジェとなりぬ秋の浜
団栗の落ちて響ける山の路
鴨睦む硝子戸越しの池のはし
散る落葉寺の階段流れ落つ
芭蕉忌や旅の夢のみかけ巡る
息白しなるようにしかならぬ日々
開院を待つ早き朝息白し
<注>
2019年の「死ぬことはさなぎが蝶になることよ」の句は、オリジナルの発想ではない。生涯をかけて死について研究した精神科医のエリザベス・キューブラー・ロスが、ユダヤ人の大量虐殺が行われたポーランドの収容所の壁に無数に書かれていた蝶の絵を見て25年間考え続け、「死はさなぎから蝶が飛び立つようなもので、肉体という殻を脱ぎ捨てて別の存在になることだ。」との回答を得たというようなことが、彼女の著書の「人生は廻る輪のように」に書かれていた。共感したので、忘れないように句に残したものである。
今日は2月7日、1月7日に余命1〜2か月と告げられて、ちょうど1か月が過ぎた。残りの人生を悔いなく精一杯生きたい。