卒寿祝いの旅行
妻の母が今年数えの九十歳の卒寿(卆寿)である。妻には私の実家のことにはいろいろと関わってもらってきたが、私と結婚してから母親と旅行したこともなかった。
今回の卒寿祝いの旅行を提案すると、妻も義母も乗り気であったのですぐに決めた。そうは言っても高齢であり、二人でゆっくり水入らずで話すことが目的なので、お隣りの岐阜県の下呂温泉に行くことにした。私はドライバー兼ポーター兼ツアーコンダクターに徹し、できるだけ二人でゆっくり過ごすことができるよう心掛けている。
私はこの温泉は初めてであるが、有馬、草津と並ぶ日本三名泉の一つであり、のんびり過ごすには良かったと思っている。
午前11時に義母の家を出て、直接下呂となると2時間で着いてしまうので、途中に昼食も兼ねて郡上八幡に寄った。
郡上八幡城
宗祇水
その後、旅館へ向かい午後3時半頃到着し、のんびりと過ごした。
旅館内
旅館の庭
旅館の能楽堂
能楽堂から見た庭
フジコ・ヘミングとCOLORS
十数年前、何がきっかけであったか忘れたが、会社の同僚からフジコ・ヘミングさんの曲のCDをもらい聴くようになった。もともとクラシック音楽は好きであったもののジャズにかなり比重が傾いており、彼女の曲を聴くようになってある部分クラシックに回帰した。
隠居人になってから時間があるので、彼女の曲をもっと他にも聴きたいと思っていたところ、いつものように本屋で立ち読みをしていると「フジコ・ヘミング COLORS 音に色を付けるように弾く」という本の背表紙が目に入った。よく見ると最新ベスト・アルバムの公式ガイドブックであった。
フジコ・ヘミングさんの生き様、「COLORS」という最新アルバムに収録された77曲のそれぞれの思い入れが書かれており、挿入されている写真も素敵でありすぐに購入した。もちろん、CD(5枚組)もである。
話は変わるが2~3年前のテレビ番組で以下のような放送があった。
ギャンブルで負けが込んだ漁師が、テレビでフジコ・ヘミングさんのラ・カンパネラを聴いて感動し、ギャンブルなど止めてラ・カンパネラを弾けるようになろうと思い立ち、ピアノ講師の奥さんに無理だと言われながらも教えてもらい、その1曲だけを8年間一途に練習して弾けるようになった。その演奏をフジコ・ヘミングさんの前で披露し祝福されていた。
私はその放送を観て、とても感動したことをはっきりと覚えている。私は何でも広く浅くで、何かを成し遂げるということはないが、彼は一つのことに深く集中してフジコ・ヘミングさんをも感動させた。素晴らしい人生である。
ベストアルバム「COLORS」を本を読みながら先ず1枚目を聴いたが、彼女の人生と曲の両方を味わうことができる素晴らしい時を過ごすことができた。
B!ブックマークにコメントを頂いていた方々へ
B!ブックマークにコメントを頂いておりましたが、私の無知により全く気がついておりませんでした。
ブログを始めた時に遡って確認したところ、何度もコメントを頂きながら全く反応していなかった方も多数あり、大変申し訳なくお詫び申し上げます。
今後ともよろしくお願い申し上げます。
散歩道の紅葉
最近は寒くなってきたので、まだ陽が高いうちに散歩に出るようにしている。それで気づいたことだが、小学生に出会うと「こんにちわ!」と明るく声をかけてくる。最初は近所の子かなと思いながら挨拶を返していたが、ほとんどの小学生(一部の中学生も)が挨拶の声を掛けてくる。普段は妻と子としか話さないが、口を開く回数が多くなり元気をもらうことができ、少し楽しい気分になる。
昨日は久しぶりの散歩であり、ゆっくり歩きながら写真も撮ったので、紅葉の様子などを紹介したい。
散歩道の途中にある公園は、一か所に紅葉する木が集められているのか、今が見頃である。
貯水池の薄は穂綿が綺麗である。
異なる色の葉を持つ木も鮮やかである。
用水路脇にもまだ小さいが、楓が紅葉しかけている。
蜘蛛の巣は減ったが、まだエサが取れるのか頑張っている蜘蛛がいる。
まだ夕暮れにはかなり時間があるが、二層の雲の加減か空が複雑な色をしていた。雲間から天使の梯子のように光が射し、低い雲の下は夕焼けのような感じである。
旅客機がスマホで撮っても旅客機とわかるほど、低い空を飛んでいた。
散歩ができると気分が楽しくなる。
青木宣親選手とボビー・ジョーンズ
昨日の日本シリーズ第4戦、7回裏ヤクルトの攻撃で青木宣親選手の打席、ピッチャーの投球が逸れ、青木選手が転倒した。
(上に掲げた日刊スポーツの写真の撮影者は、私の大学クラブの同期の息子さんである。)
その直後、審判は死球を宣告したが、青木選手は投球はバットのグリップ・エンドに当たり、体には当たっていないと審判に説明し、死球は取り消されファール・ボールに修正された。この大試合で、正しいことを自ら申告することにとても清々しさを感じた。共感された方も多いと思う。
日本のプロ野球をリードしていく立場の選手がこのような姿勢を示すことで、次の世代が良い影響を受けることを望みたい。
この青木選手のフェアプレーを観て、すぐに浮かんだのがゴルフのボビー・ジョーンズである。
上の写真は、「ダウン・ザ・フェアウェイ」(小池書院)に挿入されている1930年に年間グランドスラムを達成した時の写真である。
その5年前の1925年全米オープンで、ボビー・ジョーンズがラフにあったボールを打とうとアドレスした時に微かにボールが動いたらしく、自らに1打罰を課した。同伴のウォルター・ヘーゲンは「動いたように見えなかったのでペナルティは必要ない。」と言ったが、ボビー・ジョーンズは「自分は動いたのを見た。」と言って変更しなかった。この試合は、最終日終了時点で1位タイであったが、プレーオフで敗れた。
大試合におけるこのフェアプレーの精神を絶賛されたが、ボビー・ジョーンズは「金を盗まなかったことを誰も褒めない。ゴルファーとしての当然の行為である。」と話した。彼は成績はもちろんのことであるが、アマチュアを貫き通し、ゴルフに対する真摯な姿勢が球聖と云われる所以であろう。
青木宣親選手や球聖ボビー・ジョーンズに見習うべき価値は大きい。
努力は運を支配する(宿澤広朗)
昨日のラグビー早慶戦を観ていても、楕円のボールの一転がりで大きく試合展開を動かすことがある。自分がゴルフをしていても、会心のティーショットがティボットにハマってしまったり、OBと思った打球が木に当たってフェアウェイに戻ってきたりする。
運がいろいろないたずらをするが、運が良いとか悪いとかは、長い目で見れば等分であるかもしれない。
人生も同じである。ただし、運が良くて上手くいった時に思い上がるとそれ以上の失敗が待っている。また、運が悪くて思うようにならなく腐っていると負のスパイラルに陥ってしまう。
私の父は、「運は字のごとく運ぶものだ。努力しなければよい運は巡ってこない。」とよく話していた。私も六十数年生きてきて、至言だと思っている。
今日は「運を支配した男」宿澤広朗について書くことにした。
彼は50年前に早稲田のスタンドオフで活躍し、日本代表になっている。その頃、私の兄が早稲田に入っており、六大学野球はよく観ていたが、ラグビーはルールがよくわからないので野球ほどは興味がなかった。しかし、だんだんと彼の迫力に魅せられていったのである。
彼はラグビー名門校の出身ではなく(熊谷高校)、浪人して大学に入り160cmの小兵ながら、3年で日本代表となった。
住友銀行に入り為替ディーラーとして活躍し、その後日本代表監督となり、1989年にスコットランドに28-24で歴史的な勝利をおさめ、1991年第2回ラグビーワールドカップで初勝利した。日本の進展のためには外国人監督の必要との意見を推し進める先見の明があったが、なかなか取り入れられなかった。
住友銀行では取締役専務執行役員になり、頭取候補とも言われたが、赤城山登山中の2006年6月17日に心筋梗塞で亡くなってしまった。55歳でまだやり残したことも多かったであろう。
告別式の弔辞で、選手時代の監督でその後も師であり兄貴分であった日比野弘さんは、「二年連続日本一に輝いたあと、君が早稲田学報に書いた『努力は運を支配する』という言葉を、私の生涯の座右の銘にしてきたことは、君も承知のとおりです。私は後輩の君からいろいろなことを学びました。」と述べている。その日比野さんも今月の14日、86歳で亡くなられた。
あらためてお二人のご冥福をお祈りしたい。
宿澤洋子さん(奥様)は、宿澤広朗さんが亡くなられた後、「『いつも全力疾走していなければ、失速しそうな気がする』ともらしたこともございました。どうか宿澤広朗を忘れないでください。」と仰っていた。
50年前のプレーが目に焼き付いている。短い人生を疾走して、数々のことを成し遂げていった。「努力は運を支配する」という言葉は自分も意識しているが、皆にも伝えていきたい。宿澤広朗さんを忘れることなどあり得ない。
(加藤仁さんの「宿澤広朗 運を支配した男」の一部を引用しています。)
ラグビー早慶戦
毎年、勤労感謝の日はラグビーの早慶戦、大正11年(1922年)から続く伝統の一戦である。テレビ観戦だが、秩父宮ラグビー場のスタンドの上に並んで見える神宮外苑の銀杏並木の黄葉が美しい。
今日の早稲田のスタンド・オフは伊藤大祐で、前半の活躍が目立ち、自陣から自分でキックをつないでトライするプレーも目を見張った。前半は35-4でかなり一方的な試合展開であった。
しかしながら、後半は自陣へのキックを伊藤が不用意に処理しようとして、ノック・オンとし少し流れが変わり、立て続けに2トライ、2ゴールを取られるなど、慶應の粘りも素晴らしく結果的には40-33で終わった。
今年から「自陣からけったボールが22mラインの内側でバウンドして出た場合はマイボール(従来は相手ボール)のライン・アウトで再開する。」というルールが取り入れられたが、前半の終わりにその場面があり、トライとゴールに結びついた。接戦の試合ではかなりエキサイティングな場面を演出することになるルールであることは間違いなさそうである。
スタンドオフの伊藤が後半にけがで退場したことが気がかりである。